聖なる強化書

グータラ求道ブロガー・聖ちゃんによる「強くなりたい」に応える求道ブログ。 自重の筋トレを極めんとしてるマイスターだけど、スポーツ全般見るのもやるのも大嫌いな「アンチスポーツの急先鋒」です。あぁ!東京オリンピック中止にならんかなぁ〜!!

カテゴリ:聖さんの成功法則 > 神に至る○○

マーフィーの「眠りながら巨富を得る」を毎日1章ずつ読んでいる私ですが、
そんな私が最近つくづく気付いたことがある。
マーフィーの教えの要諦は、「神のごとく考えよ」だということに。


神のごとく考える、とは具体的にどう考えるのか?
以下の3つを説明します。


1. 創造者のごとく考える

主体的に考えて、自分の考えに責任を持つということです。
哲学でいう「独我論」に似ていますが、
「自分が宇宙で唯一、意思を持ち、思考する存在である」
と思い込んでみるのも、「創造者のごとく考える」ことを実践する一つの方法。

これはワガママになれってワケではなく、
むしろ逆で、自分だけが意思を持って思考する存在ということは、
しょうもないことや破壊的・否定的なことばかりをモヤモヤと無責任に考えていたら
とんでもないことが世界に創造され、現実となってしまうということを意味します。

だからこそ主体的・能動的に思考し、
自分の考えを注意深く見守り、責任を持てるようになるのです。


2. 遍在者のごとく考える

マーフィーの本を読むと
「人を許し、愛し、祝福する」
ことをやたら強調していることに気付かれるでしょう。
「人を呪えば穴二つ」
なんて言うように、他人に嫉妬や怨みを投射するのは、自分に制限をかけることにもなるというわけです。
ということは逆に、
他人に豊富や幸福、成功を放射することは、廻り廻って自分を幸せに豊かにする、
という理屈になる。

そうするための考え方として、さきほどの「自分が宇宙で唯一、意思を持ち、思考する存在である」とは逆に
「全ての人、生き物、虫、物、現象の内には神が宿る」
と考え、内に宿る神を思い敬うのです。
アニミズム的な考え方ですね。

・・・と言うと、
「宗教か!!」
って感じでアレルギー反応・拒絶反応を起こす人も居るけれど、私は別に宗教の話をしたいわけではなく、
考え方の一つとしてお話しているだけ。

私の人生に大きく影響を与えたRPGゲーム「Xenogears」でも
「信仰とは外に求めるものではなく、内に芽生えさせるもの」
という名台詞があります。
誰か・何かによって決められた“神”を求めるのではなく、
自分なりに神を見いだしていくことこそが、真の信仰であり、精神性の道ではないかと、
このゲームをやって思うようになりましたね。



3. 絶対者のごとく考える

普通に人生を生きていると、歳をとればとるほど、思考に制限がかかるものです。
親や教師、上司、国家、マスコミから洗脳され、常識に塗り固められていくうちにそうなるのですが、
そういった制限を一切外し、あらゆる固定観念を超克し、他人の考えや権威の意見、世間の洗脳よりも自分の思考や信念に重きを置くようにするのです。
これが「絶対者のごとく考える」ということ。

「お金がないから~できない」
「時間がないから~できない」
「勇気がないから、一歩踏み出せない」
「年齢的に遅い(もしくは、早すぎる)」
「才能がない」
「資源が足りない」
「自分にできるはずがない」

・・・こういったもっともらしい言い訳をあたう限り抑え込み、
理屈や論理で考えたらどんなに無茶・無謀なことであったとしても、
あなたの心が其処に向いているのであれば、
「自分は、それに相応しい存在である」
と決めてしまい、思い込んでしまいましょう。

まぁ要は「セルフイメージを究極まで高めましょう」
ってワケです。

自分の現実は、セルフイメージによって展開が決まるわけですから。
年収200万円が相応しいと思う人は、そのセルフイメージが年収200万円という現実を創りだし、
生涯独身と思い込んでいる人は、そのセルフイメージによって自分で自分を独身にし、
肥満体型から変化出来ないと諦めている人は、そのセルフイメージによってデブってるワケです。

セルフイメージを高める方に変化させることで、人生は好転する。
そのための方法論として
「絶対者のごとく考える」
ようにしましょ。



そして私は1日1章のペースで、この本を100回繰り返し読むつもりでいます。
その時には、「神のごとく考える」ことがかなり高い完成度で出来るようになっているだろうと思える。

ではまた。

私は10代の中頃にはかなり重度の健康オタクになっていて、
サウナに入るのも大好きだし、色々な健康法について知るのも凄く楽しかった。

で、腹式呼吸を習慣化するようになったのも、高校生くらいの時で、
「鼻から吸って、口(or鼻)から吐く」
というプロセスを無意識の習慣になるまで徹底的に繰り返したんだ。

当然アラサーの今も常時腹式呼吸。
これは今まで身につけてきた習慣の中でも、善い習慣の一つだとつくづく思う。


というのは、私が呼吸法や瞑想をやっていて気付いたこととして
「“息の位置”が深い位置であるほど、心が静かに落ち着く」
というものがある。

疲れているときにやりがちな「肩で息をする」なんていうような場合、呼吸も浅くて荒い。
息の位置が胸より上だから、息が入る絶対量が少ないがためにこうなる。
だから心も落ち着かないのだけど、
胸より下、腹(肚)や肛門、すごい人だと地面の下、地球の中心核で呼吸をする。
そうすると息が入る絶対量が身体全体でやるから胸(より上)の位置で呼吸する人よりも多くなるのは当然の話。
そして、「バキ」の郭海皇が愚地克己に指導したように
「イメージは無限」なのだから、地面や地球の中心核に“息の位置”を持ってくれば、
自分の身体だけで呼吸をする人に較べれば無限の量の息を(イメージで)取り込めるようになる。


今までは「吸う息」の話だったのだけど。
呼吸には


1.吸う息
2.留める息
3.吐く息


の3種類があるんだ。


私が今のところあなたにお伝え出来る「呼吸法の極意」をシンプルにまとめるなら


1.鼻から息を吸う

可能なら、前述のように“息の位置”を身体の深い位置へ置くイメージをしながら吸う。


2.吸った息を身体の中に留める
何秒でもよく、長くても短くてもいい。とにかく「吸うか、吐くか」の間に「息を留める」というプロセスを加えることが肝要。
注意点としては「息を止める」のではなく、「息を留める」という点。鼻や口を無理矢理塞ぐのではなく、肋骨や体幹の筋肉を「留める」ことで、息を留めることは自然にできる。


3.長く、ゆっくり、息を吐く

呼吸法の奥義は「吐く息」にこそあると私は思う。
長くゆっくり息を吐くと心拍数が下がるし、
ストレッチの時に息を吐きながらやると筋肉が伸びるし、
筋トレの時も息を吐くことでパフォーマンスが上がる。

「息を吐く」のは、心を落ち着け、身体もリラックスし、出力も上がる、まさに「秘法」といってもいいノウハウだとつくづく思う。
だから、何かあったら意識的に「長く、ゆっくり、息を吐く」ことを習慣化してみてほしい。


0.1~3のプロセスを「ゆっくり、静かに」行う

私が見る限り、能力的にも人格的にも、優れている人に共通する大きな特徴は「静か・微か」という点がある。
普通に喋ったり、時には騒いだりもするのだけど、特に集中しているときには静かできめ細やかになるんだ。

逆に言えば、能力的にも人格的にもいまいちな人って、意味もなくうるさい。
バイクでバカみたいな音を意味なく出している人、
公共の場で騒ぐ人、
特に運動した後でもないのに呼吸がやたら荒い人、

その様子を見ただけで私は、
「あぁ程度の低い人間なんだな」と断じてしまう。
そして今のところは、例外なく皆「イマイチ」だ。

まずは呼吸を静かにすることから始めてみれば、そんなイマイチな人たちの人生も好転すると思う。
息を吸うときや吐くときに、側に居る人に聞こえるような音を立てないところから始めて、
自分でも聞こえないくらいに静かに息を吸い、ゆっくり吐くというところまで目指して、
そのプロセスを無意識レベルまで習慣とすると、「優れた人になるプロセス」が始まることは間違いないです。



まぁ書き出すと止まらないくらい、呼吸法って奥が深いけれど、
エッセンスを抽出するなら上の4つになります。

静かに、微かに、ゆっくり呼吸することで、
優れた人になり、
やがて超人となり、
いつかは神となる。

それを信じて、取り組んでみてはいかが?
ではでは。

神に至る読書道」という先月末の記事にて私は、
「孫子の兵法を1000回読むチャレンジを自分に課している最中である」
旨を述べた。
実際、このブログを書いている時点で、すでに84回読んでいる。

一日に1回、一冊分の分量を通読しているペースだ。
どうしても忙しい時は「2日で一冊分を読む」というペースに落としているが、そんなことはせいぜい今まででも2回くらいしかなく、「1日1冊ペース」は厳守している。


ところで、「なぜ孫子をチョイスしたのか?」については「思考がもやもやしているので触れない」と、ある意味で逃げる記述をしているが、今日はそのことについて触れてみる。

予め断っておくと、耳障りのいい話や「楽して頭がよくなる」的な都合のいい話を期待しているのなら、そんな期待とは全く真逆の話を読まされることになるので、ここから先の文章は読まないことをおすすめする。







「私が孫子を選んだのではなく、孫子が私を選んだ」
と書いたが、これは感覚の話なので、言葉であれこれ書いても仕方がない。
感覚を磨くには、自分の身体を通して観察したり経験したり失敗したりしなければならないのだから。

なので、「(至高の)本に自分が選ばれる」感覚を本気で磨きたい方に是非ともオススメしたいのは



◆ 何でもいいから、本を1000冊読む



ことだ。
そもそも、
自分にとって本当にいいと思える本、
人生を変えてくれる本、
魂を揺さぶるような本なんて、
1000冊に1冊あるかないかくらいの確率でしかない。

良書との出逢いとはそれほど貴重なことなのであって、

「どうすればいい本と(効率的に)出会えますか?」
「オススメの本は何ですか?」

という近道をしようという根性がそもそも甘ったれてるのですよ。
私にとって良かった本や、成功者が参考にした本、尊敬する人や知識人がオススメする本が、
あなたにとっていい本であるわけでは必ずしもないでしょうに。


それで「つまらなかった」だの「役に立たなかった」だのと文句を言ってくるようなら、
「一生ブーブー文句を垂れてろよ」
とでも言いたくなる。


結局は
自分で見つけるしかない。
自分で感覚を磨くしかない。


ところで、
1000冊は別に、どんな方法で達成してもいい。

新書を買って読むもよし。
ブックオフで中古を買うもよし。
本屋で立ち読みですますもよし。
友達や図書館で借りるもよし。

とにかく、
1000冊読むチャレンジを自分に課してみてほしい。

もっとも、身銭を切った方が真剣に学ぶ意欲も出ようもの。
基準高く、真剣に実践したい人はできるだけ新書で買って読書をすることをお勧めする。



そうして量を重ねてくると、やがては私にとっての孫子のように
「1000回繰り返し読むべき本」に出逢える。

それはあなたにとっては
聖書かもしれないし、歎異抄かもしれない。
論語かもしれないし、老子かもしれないし、私と同じく孫子かもしれない。
君主論ということもあるだろう。
エメラルド・タブレットかもしれない。


実際に私は、熱心なクリスチャンが聖書を常に肌身離さず持ち歩いて読むかのごとく、
ジョギングや筋トレや入浴の時以外はほぼ全ての時間、孫子を持ち歩いて、暇さえあれば読んでいるのだから。

生きているうちに1000回読もうと思ったら、それくらいのことをしないといけない。
孫子は短い本だからいいものの、聖書みたいな分厚い、分量の多い本だと常に肌身離さず持ち歩いていないと1000回も読めないでしょう。


1000冊読めば、1000回読むべき本に出逢える。
少なくとも良書を見分ける感覚はかなり研ぎ澄まされているでしょう。



ではまた。

セフィロトの樹で有名なカバラ思想では
「0=無(アイン)」
「00=無限(アイン・ソフ)」
「000=無限光(アイン・ソフ・オウル)」
という概念がある。
2014-05-01-00-19-28

無より無限(=世界)が顕現し、無限光に満ちる…という
「カバラ的天地創造論」と私は解釈しているのだけど、
今日はカバラ思想の話をしたいわけではなく(詳しく知りたい方はご自分で調べるなりしてね)、読書の話をしたい。


私は現在、岩波文庫の「孫子の兵法」を1000回読むチャレンジを自分へ課していて、現在40回読破してるのね。
200ページくらいの本だけど、純粋な日本語部分だけを抽出すれば70ページくらいの薄い本だから、ほぼ一日一冊丸々通読するペースだ。
当然速読ではなく、普通読みでチャレンジしている。

なぜこんなことをしているのかというと、
『最上の本を1000回読むと、人は神に至る』
と考えているからだ。


同じ本を何度か繰り返して読むたびにつくづく、「全然自分は理解に至ってないな」って思う。
なぜなら私たちには自分の意見、偏見、判断といった物で頭がいっぱいで、それを通して世界や人や本を見るから、「ありのまま」を見て受け取ることなど到底できないわけじゃん。

都合良く捻じ曲げて受け取っていたり、読んでいたはずのことが全然頭に入ってなかったりということが本当にある。


でも、10回も繰り返せば大分そういった主観を「無」に近づけることが出来るように思う。
無に至ると、そこから先更にその本を繰り返して読むのは「瞑想」みたいな感じになる。なんていうか、心にすっと入ってくる感じにね。
自分の意見や偏見や判断が「すっと入ってくる」のをいかに邪魔していたかがよく分かる。


今はまだ道の途中だけど、瞑想感覚で淡々と100回繰り返して読めば、本の奥義というか、理(ことわり)を掴んで、「無限」に至るのではなかろうかと思う。

そして1000回も繰り返す頃には、「無限光(=神)」に至る。
0(無)と00(無限)と000(無限光)の3つをこの手に。


なんて中二病的なことを考えつつも、
毎日淡々と孫子を読み続けていく。



ちなみに
「何故『孫子』をチョイスしたのか?」
と聞かれれば
「私が『孫子』をチョイスしたのではなく、『孫子』が私をチョイスしたから」
と答える。

なんじゃそら?って感じかもだけど、
そこらへんをノウハウ化するにはまだ思考がモヤモヤしていてうまく伝えられないので、今日はこの辺で。


ではね。

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