聖なる強化書

グータラ求道ブロガー・聖ちゃんによる「強くなりたい」に応える求道ブログ。 自重トレのマイスターにして「アンチスポーツの急先鋒」です。目指せ!東京オリンピック中止!!

カテゴリ:健康・美容 > スポーツ嫌い・アンチスポーツ

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どーも、アンチスポーツの急先鋒・聖ちゃんですわ。

 

世の中には

スポーツする人>>>>>>しない人


という謎の図式というか、空気というか、風潮というか、暗黙の了解というか、

そういったものがありますが、

そういったもののために

 

・小中高ではスポーツのできる生徒がチヤホヤされ

・世間ではスポーツ選手はヒーロー扱いされ

・マスコミにおいてはスポーツニュースやスポーツ番組が制作される

・だからますます「スポーツって素晴らしい」「スポーツって楽しい」と洗脳されたバカが沸きまくる

 

という、スポーツ嫌いからすればクソみたいなサイクルが生まれるのですが、

私はそうやって

「スポーツって素晴らしい」

「スポーツって楽しい」

「スポーツ選手は偉い」

と押し付けられるたびに、
いつも心の中でグツグツ煮えたぎらせていた想いを今日はぶちまけましょう。

 

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人間の限界ってこんなものなのか?と絶望させられる

私は「人間には無限の可能性がある」と信じたい人間なのですが、
スポーツの記録なんかを見てると

「人間って所詮この程度でしかないのか。。。」と絶望してしまう。

ウサイン・ボルトですら、スペインの牛追い祭りの牛からは逃れられない

現時点で人類最速の人間はウサイン・ボルトということになるのでしょうが、

彼がもしスペインの牛追い祭りに参加したとしても、

牛からすれば「ノロマなその他大勢の人間の一人」に過ぎません。


なぜならあの牛って確か、100メートル走のタイムでいえば7秒台くらいのスピードですからね。

 

ちなみに地上最速生物・チーターは100メートルを3.2秒で駆け抜けるし、

競馬でおなじみサラブレッドは5秒前後で、

「最強の動物」説もあるカバもあの巨体で8秒です。

 

こうして比較すると、

「うわ、人間ってしょぼいな。。。」

と絶望してしまうんですよね。

 

フィジカルに関して言えば人間など、万物の霊長(笑)である。

4足歩行の獣と比較した場合、走力や跳力ではどうあがいても勝てませんし、

まして哺乳類である以上、潜水時間や泳力では海棲動物とは
比較するのも恥ずかしいレベルのゴミクズです。

 

腕力もしょぼいし、そんなしょぼい腕が切れても生えてこないし、

身体能力や運動能力に関して言えば基本、しょぼいのが人間。

 

・モノを正確に投げる投擲能力

・長時間走り続ける持久走

・手先の器用さ

 

に関しては他の生物を凌駕しますが、他は基本ダメダメなのです。

 

「人間の中ではすごい!」だから何?

「動物と比較すればしょぼいかもしれないけど、でも、人間の中ではすごいんだからいいじゃん!!」


っていう人もいるかもしれないけど、

何度も強調しますが
私はスポーツ全般全く興味ない、ていうか嫌いな人間なので、

 

で? だから何??

 

って感じ。

所詮「井の中の蛙」じゃんよ。

どんなに速く走ろうとも、人類最速の人間ですらサイやカバに追いつかれ殺される
現実があるってことに、

私は虚しさを感じます。

 

人間にしかできないこと、人間だからできることこそ素晴らしいんでない?

そう思う私だから、スポーツの素晴らしさとか楽しさを語られるたびに

「いや、動物に比べりゃカスやんけ」

って冷めた反発を感じます。

 

それよりは、言葉を話したり、モノを作ったり、考えたりといった、

人間にしかできないこと、人間だからこそできることの方がよっぽど尊いと思うけどね。

 

砂鉄から日本刀を叩き上げ、磨き抜く工程なんかゾクゾクするしね。

 

私がスポーツばっかり持ち上げる風潮にケチをつけたい理由、
なんとなく伝わりましたでしょうかね?

 

スポーツにおける「正々堂々とした勝負」の嘘臭さが笑える

スポーツって、決められたルールの下、正々堂々と厳しいルールで戦うので、
勝敗や順位が明確になります。

が、裏を返せば、

あれこれルールを明確にしておくからこそ勝敗や順位が明確になるんですよね。

そうでないと判定しようがないですし。

 

真の勝負は「殺るか、死ぬか」

自然界の生存競争や、戦争などを見ていればわかりますが、

真の勝負とは「敵を殺るか、己が死ぬか」です。
 

そこにルールもなければ審判もいません。

だから反則もないし、正々堂々という概念もないのです。

 

逃げること、騙し討ち、奇襲、多勢に無勢、全てが許されます。
 

だからスポーツみたいに「わかりやすく」はないんです。

どちらかが死ぬまで戦う義理もないので逃げたりも平気でしますしね。

 

つまり、正々堂々とか、フェアとか、
そういったものはルールに守られているからこそ許される「甘え」とも言えるのです。

 

現実は「白・黒」ではなく「グレーの濃淡」

そもそも現実において、スポーツの勝敗や順位のようにわかりやすく
「白黒」「勝ち負け」がハッキリ分かれることって少ないですよね。

 

例えばトヨタとフォルクスワーゲンって、どっちも自動車会社ですけど

どっちが勝ってて、どっちが負けてるの?

また、負けてる方はそれで何を失い、損してるの?

って話ですよね。

 

別の例では、

何年間も同じ職場の人に片思いしている女性がいたとして、
ある日全く別の男の人から告白されたとしましょう。
 

いい加減何年間も片思いし続けてきて寂しいし辛いし、
この人もそんなに悪くないし、
ということで付き合い始めて、
しばらくしてたら片思いしていた職場の男性が「実は前から好きだった」と告白してきて、
結局乗り換えてしまったとしましょう。
 

この場合、最初に告白してきた男性は「彼氏になる」という形の勝利は得ましたが、
すぐにそれはひっくり返ってしまったわけで、
何が言いたいかというと、「勝ち」なんてものは簡単になくなり得るものだということ。

 
 

つまり、「100か0か」「オールオアナッシング」なんてことは世の中には少なく、

「45か55か」みたいな、グレーの濃淡で相対的に決めているのが現実だということです。

 

まとめ:スポーツ嫌いからすればスポーツって嘘くさいし、アホらしい

動物に比べればカスみたいな身体能力を、

決められたルールの下で正々堂々(笑)争って、

白黒や序列をつけているのが、

 

スポーツに全く興味ない人間からすれば滑稽で、

で?だから何よ??

っていう、それだけのお話でした。

 

まぁこんな感じで、東京オリンピックまではスポーツに対して毒吐きまくります。

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どうも!アンチスポーツの急先鋒・聖ちゃんです。

私は普段の記事は、アップ前に数回・アップ後も数回読み返すのでかなり推敲してます。

(その割にこの程度の文章?とか思ったやつ、ぶっつぶす。)

 

だけど、このスポーツ嫌いの文章に限っては、
あえて推敲せずにそのままアップしています。


というのは理屈や論理よりも、感情をそのままぶつけたいから、
あえてそうしているんですけどね。

何回も読み直し・書き直しすれば完成度は高まりますけど「熱量」は下がる傾向にあるもんだし。

 

で、そんな熱量を今日は何にぶつけるか?といえば
体育教師の無能っぷりです。

 

スポーツが好き・運動が得意な生徒がそのまま教師になるから教えられない

小中高の12年間で、細胞レベルでスポーツ嫌いになった私が体育に関して一番批判したいことは、

何といっても体育教師の無能っぷり。
 

何度か記事にしていますが、私は小中高の12年間、

体育教師なる存在からはまともな指導や教育を受けてません。

 

・ボールの投げ方

・走り方

・サッカーやバスケ、野球、ドッヂボールなどの正確なルール

・その他いろいろなコツや秘訣

 

など、基本的なこともろくに教わらないまま、いきなり実技をやらされましたね。

 
 

当然なんの基礎や下地もないので失敗するわけですが、

彼らはただ

「真面目にやれ!」
「やる気あんのか?!」

と怒鳴るか、
他の生徒と一緒に笑ってるか、のどっちかでした。

 

こんな状態で一人一人実技をやらされても、みんなの前で「晒し者」になるだけだし、

サッカーなどの団体競技では足を引っ張って、みんなの「戦犯」になるのがオチ。

 

救えないのは、体育教師からすれば

「体を動かすこと」「サッカーや野球、ドッジボール」は、

イコール楽しいことという揺るぎない連想があるからか、


「とりあえずサッカーさせとけば子供は喜ぶだろ」

「みんな、スポーツって楽しいよな!」


という押し付けや決めつけをいつも感じておりました。

 

名選手、名監督にあらず。プレイヤーとティーチャーの優秀さは違う

つまり体育教師になるような人って、

人並み以上に運動が得意で、スポーツが好きで、部活や授業でそれなりに活躍したからこそ

「スポーツの素晴らしさを教えたい!」

と思って職業選択をしたのでしょう。多分。

 

だから、それゆえに、

「運動ができない子」

「スポーツに興味がない子」

立場に立てないし、気持ちが理解できないのだと思います。

 

ていうか別に、

プレイヤーとしての優秀さと、ティーチャーとしての優秀さが違うってのは、
スポーツに限った話ではないですよね。
 

一兵卒としては「そこそこ止まり」だった営業マンが、
部下の指導能力・育成能力ではものすごい力を発揮したりとかするもんだし。

逆も然りで、会社でトップクラスの営業マンが部下を持っても、
ただ数値目標をぶち上げて怒鳴るだけ、とかね。

 

学生時代の体験から何も学ばなかったのか?気づかないほどアホなのか?

ここまでゴチャゴチャ書きましたが、

そもそもの話が、自分が学生時代、

スポーツができなくてつまらなそうにしてた生徒や、

運動できなくてバカにされいじめられてた生徒って絶対いたでしょ?

 

それ見て何も思わんかったのかね?

で、教師になる以上、
そんな生徒をケアしてあげようと思えんのかね?

 

体験上、体育教師って
運動できる生徒や自分が受け持つ部活の生徒を贔屓する傾向があるのは要するに

「スポーツが好き」「スポーツって楽しい」
という共通点があるからでしょう。

 

そんなクズが上に立つから、同じクズが量産されて

「スポーツ大好き」「スポーツって素晴らしい」「スポーツできない奴はダサい」

という洗脳が強固になり、

真面目に参加しているのにろくに指導やケアされない生徒が
一方的にいじめられるというサイクルが生まれるんですよね。

 

「一人一人きちんとケアしている時間がない」って?なら授業なんかやめろよ

でも彼らはこう言い訳するのでしょう。

「いや、できない生徒がいるのはわかってるし、指導やケアする必要があるのもわかってるけど、
一人一人にそんなことやってたら時間や人員がとても足りない」

とね。

 

あのさぁ。

そんな言い訳するくらいなら、体育の授業なんかやめてしまえよ。

 

指導要綱で決まってるのか知らんけど、

四則計算もろくに教えられてない生徒を無視して三角関数だの波動関数だのの話をギュンギュン進めてもしゃーないやん。

 
 

「時間がない」って?ならやること減らせよ。

サッカーなり水泳なりバスケなりマット運動なり、
あれこれやらせるんじゃなくて、

例えばサッカーをやるんなら、1学期まるまる使って

 

・ルールの理解

・スタミナをつける

・パスなど、最低限ボールに触って慣れる

 

ことだけを一人一人じっくり徹底させるとかさ。

 

それを大してしないで、いきなり試合なんかさせても、

できない子はボールに触ることもないまま授業を終えるから


「何この時間?無駄じゃね?やりたい奴だけでやってくれよ」


ってなるよ。つーか私は毎回毎回なってたよ。

 

まとめ:体育教師が無能なのはできない子や興味ない子が理解できず、放置するから

あれこれ書いたけど、結局体育教師が無能なのは

 

・スポーツが好きじゃない子

・運動音痴

 

の立場に立てず、気持ちが理解できず、
だからこそ自分と同じスポーツが好きでできる子を贔屓して放置するからですね。

 

そんなんだったら誰でもできるやん。

 

実際、少年野球の監督とかってそこらのオッサンがやってるしね。

ただ踏ん反り返って、
できる子は贔屓して、
できない子は怒鳴ってるだけの彼らの指導能力は傍目で見てても疑問だし、


「ピッチャービビってる!ヘイヘイヘイ!!」

だののヤジを飛ばすことにはマイナスの教育効果しか感じません。

 

私に子供ができたら、野球だけは絶対やらせたくないなぁって思う理由の一つです。

 
 

とにかく体育を指導する立場にあるのなら、
一人一人の指導やケアにきちんと責任持てよ。

それに関して言い訳すんな。

 

以上!おしまい。

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スポーツ全般見るもやるも話題に出されるも、死ぬほど嫌いな聖ちゃんでございますよ。
 
私がスポーツ全般、嫌悪と唾棄の眼で見るようになったのは紛れもなく
小中高の12年間における体育教育の賜物なのですが、
大人になった今振り返ってみて、
 
「12年間の体育教育で得たこと、教訓、気づきはなんじゃろな」
 
と振り返ってみました。
 

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教訓:イヤイヤ取り組んでも何も身にならず、時間やお金を無駄にするだけ

私に会ったことのある人はよーく知っているでしょうが、
私って字がめちゃ汚いんですよね。
なんせ自分でも読めないことがたまにあるくらいですから。ええ。
 
IMG_8749
▲汚ねーでしょ。(笑)
 
でも実は、こんなんでも小学校6年間は母に習字教室に通わされていましてね。
母は習字の段位を持っているものだから、「我が子供にも」ということで通わせたのでしょう。
 
週に一日だけの教室だったのですが、
正直イヤイヤやっていましたね。
字がうまくかけることの意味や楽しさなんか全くわからなかったし、
正直言って今でもわかりませんからね。
 
だからちっとも上達しないままでした。
 

真面目には取り組んでも、一生懸命には取り組まないから身にならない

体育の授業なんかはまさにそうなのですが、
嫌いなことや意味を感じないことを
「とにかくやれ!」と強制されたところで、イヤイヤでしか取り組めないですよね。
 
運動会など、どうしてもイヤな時には仮病を使ったりしてサボったりもしてたのだけど、
根が(中途半端に)真面目な私は、
基本的には授業には真面目に出席しておりました。
 
でも、
・授業に参加する
・その場にいる
だけでもエネルギーのほとんどを使っている状態なので、
 
そこから先の段階である
 
・授業の内容に集中する
・授業の内容に習熟する
・授業の課題を達成する
 
方にまではエネルギー(やる気)はほとんど残っていない状態です。

つまり、真面目に参加はするし、言われたことは(形だけ)真面目に取り組みますが、
一生懸命には取り組まない・取り組めないのです。
能力やエネルギーに欠如した状態ですからね。
 
当然、授業にはついていけないし、
何回やってもうまくいかないし、
団体競技では足を引っ張って戦犯になるし、
という感じになるわけ。
 

「好きこそ物の上手なれ」は一生懸命取り組んでPDCAを回し続けるからこそ

スポーツに限らず、何かに上達し成長しようと思ったら、
ただ真面目に取り組む以上の「何か」が必要なのです。
 
その「何か」ってのは
 
・「今よりもうまくなる」という決意
・目の前の活動への熱中や没頭
・自分なりの課題を持ち、フィードバックを得てPDCAを回していく継続学習
 
などでしょう。
そしてこれこそがまさに「好きこそ物の上手なれ」の理由だと思いますし、
イヤイヤ取り組んでも何にも身にならない理由ですね。
 
私にとっては習字やスポーツなど、
特に必要性もなければ、興味も意義もまるで感じない活動には、
「言われたことを、ただ真面目に取り組む」
以上のこと・以外のことなどはしないし、できないです。
 
 

部活や体育、運動会で「ベストを尽くす」経験など一切しなかった

いやいややっていることって、意識的にも無意識的にも、
どこか手を抜いているというか、心ここに在らずでベストを尽くすことはないように思います。
 
ていうかさ、運動音痴がベストを尽くしたところで、
笑われたりバカにされたり邪魔扱いされたりするだけですからね。
そんな環境で「ベストを尽くせ」って、矛盾しすぎ。
 
わかってる?
体育教師の皆さん、スポーツ好きの皆さん。
脳筋にも分かるように懇切丁寧に説明したつもりだけどさ。
 
 
たとえば私は、50メートル走や100メートル走の『真の自己ベスト』がどれ位のタイムかは知らないです。
なんでか?
前述のように
「真面目には取り組んでも、一生懸命には取り組まない」
からであり、
「運動音痴が一生懸命やってても笑われたりバカにされたり邪魔扱いされるだけ」
だからです。
 
そして私は、これから先も永遠に「自己ベストタイム」を知ることはないだろう。
それはつまり、「自分の足がどれくらい早いか」なんて、至極どうでもいいからであり、
どうでも良いことのためにクタクタになりたくはないためです。
 
 
人は嫌いなことや苦手なことには、ベストを尽くすことが難しい。
 
これが、これこそが、嫌々取り組んでいた体育から得た唯一の教訓です。
 

まとめ:体育や運動会なんかやりたい奴だけでやってくれ

私が体育の授業で一番批判したいのは、
とにかく体育教師がろくに指導もせず、ほったらかしなこと。

だからスポーツ好きだけがワイワイ盛り上がって、
私のようなスポーツ嫌いは邪魔扱い・(団体競技では)戦犯扱いされるんですよ。
 
ろくに指導できない・する気がないなら、
体育の授業なんかやめてしまえよ。
 
せめて「図工・音楽・家庭・体育」の中からの選択科目にして、
やりたい奴らだけで勝手にやってくれよ
って言いたいね。
 
体育の授業は、時間の無駄でしかなかったし、それに加えて、
運動音痴はいじめやイジリの原因になるし、
教師は何のケアもしないから、
体育って本当害悪だなぁ
って思う。
 
 
というわけで東京オリンピックまでは、ガンガン体育批判をやっていきます!!

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こんちは!アンチスポーツの急先鋒・聖ちゃんですよ。

 

小中高の体育の授業のおかげで、骨の髄までスポーツ全般見るのもやるのも大嫌いになった私ですが、

私のような運動音痴からすれば子供の頃から不可解な現象がありますよね。

 

そう!

「勉強ができて運動音痴な子」はガリ勉・陰キャラ扱いなのに、

「勉強はできないけどスポーツができる子」はクラスのヒーロー扱いでスクールカーストの上位扱い

という、謎のスポーツ万歳現象です。

 

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複数科目ある「勉強」よりも単一科目「体育」でクラス内の序列が決まる不思議

私は基本的に

「勉強はやればそれなりにできるが、体育が超苦手で、次に音楽が苦手」

という生徒でした。

 

真剣に勉強すれば学年でトップクラスに入れるくらいの学力はあるのですが、

とにかく運動音痴なものですから、

「ろくに勉強できないけど、体育だけはできる」

生徒からはナメられっぱなしでしたね。

 

実際、スクールカーストでは常に下位の方でしたし。

アメリカで言えばギークとかナードとかになるんでしょうか。

当時の私の学校では「ヤミ(闇)」とか呼ばれてましたね。

自分たちは光り輝いているとでも言いたいのでしょうか、何と傲慢な!と思いますがね。

 

しかし、当時も、大人になった今も不思議ですけど、

本来は勉強が本分なのに、なぜ体育で学校内の序列が決まるのか?

 

運動音痴なりの考察と結論:世の中はバカが圧倒的に多いから!!

前に記事にしたけど、世の中の大半の物事は、

そのことの何がどうすごいのか?がわかりにくいものです。

 

私は日本酒が好きなのですが、日本酒に全然詳しくない人からすれば、

純米大吟醸だの、山廃だの、生酒だの、雫取りだの、
 

「一体何がどう違うの?」

「高いお酒って何が違うの?」

「飲んでみたけど、違いがわからん!」


ってなるものでしょ? 

別に日本酒に限らず、ワインであれ、観劇であれ、絵画であれ、美食であれ、何事もそうです。


それはつまり「文化資本」というものがないと、
そのことの凄さや素晴らしさを理解することもできないから、

感動や共感に至らないのです。

 
 

で、話を戻すと、

なぜスポーツが小中高と礼賛されるのか?

そして社会に出ても、
体育会系がチヤホヤされ、スポーツ選手は英雄扱いされるのか?

 

シンプルな話です。

かけっことか、ボール遊びとかは、

ややこしい「文化資本」なんてなくても「すげぇ!!」ってなるからです。


要は世の中バカばっかりってことよ。

 

サッカーのリフティングとか、
ボールを遠くに投げられるとか、
足が速いとか、

冷静に考えれば死ぬほどどうでもいいことでも、一番すごい記録を出せば

「すげぇ!」

「かっこいい!!」

ってなるのはつまり、「シンプルでわかりやすい」から。

 

男は基本的に序列をつけたがるから、スポーツが好まれる

運動音痴って基本的に学生時代、暗い思いをすることが多いのは男女変わらないですが、

その度合いの酷さは間違いなく男子の方が強烈でしょう。

 

というのは、男って基本的に、

白黒ハッキリさせたがるし、イチイチ序列をつけたがる生き物でしょ?

 

・学歴はどちらが上か?

・会社のランクはどちらが上か?

・内定が出た数、速さ

・抱いた女の数

・童貞卒業の早さ

・足の速さ

・収入

・貯金額

・腕時計のブランド

・乗ってる車のランク

 

などなど、99%はクソくだらないことですが、

イチイチ序列をつけたがる「おサルさん」なんですよ。色々な意味でね(笑)

 

そんなおサルたちにとって、
スポーツというのはややこしい文化資本がなくてもわかりやすいから、格好の序列ネタになるのです。

 

勉強は点数という数字でしか結果がわからないけど、
スポーツだと過程や姿も見れますからね。

ボールを遠くに投げるとか、かけっことか、重いものを持ち上げるとか、
わかりやすいですよね。

 

女子も女子でキャーキャー騒ぐから、男子(サル)が調子に乗る

でね。女子も女子で、スポーツができる男子(サル)を見て

「かっこいい♡」

「爽やか!!」

なんて騒ぐものだから、
おサルさんたちはますます調子に乗るし、

逆にスポーツできない男子はますます哀れな扱いを受けるんですよね。

 

結局バカばっかりなのは男子に限った話ではないということです。

 

勉強ができるとか、芸術的才能があるとか、他にも数多ある美点・美徳に目もくれず、

文化資本がなくても理解・感動できるスポーツをチヤホヤするのは
「わかりやすい」ためです。

 

まぁ、

たかがボール遊びやかけっこでムキになるサルと、

そんなサルを見て騒ぐブタ、

バカ同士お似合いだなぁ〜

 

って当時から思ってましたがね。

 

まとめ:人それぞれ違いや良さがあると、スポーツ好きはいい加減理解しましょう

人それぞれ、得手不得手が違うのが当然ですよね。

勉強ができる、運動ができる、芸術的感性が高い、コミュ力が高い、商売上手、優しい、ガッツがある、などなど。

 

本来同列であり序列などないはずなのに、

スポーツばっかりがやたら持ち上げられるのは、
世の中「文化資本」や「見る目」のないアホばかりだから。

 

加えて、スポーツ好きな人って基本的に、押し付けや決めつけが強いから、本当うんざりするんですよね。

アホなあんたには理解できない美点が人や世には、い〜っぱいあるんですよ?

ってことね。

 

というわけで今日もスポーツに対する呪詛をガンガン書きました!

東京オリンピックまではマイペースに書き続けるよん。

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どうも!グータラ求道ブロガー聖ちゃんっす!!

 

私は小さい頃から運動音痴でスポーツ嫌い、集団行動大嫌いなボッチでいじめられっ子、趣味のほとんどがインドア系という感じなので、世間一般から見れば「非リア充」って感じなんですよね。

※…「リア充」「非リア充」って何?って方はググレカス。

 

世間一般でのリア充のイメージって例えば

・友達が多い

・クラスや職場で中心的な立場にいる

・恋人がいる

・学生生活や社会人生活が充実している

・夏は海やバーベキュー、冬はスノボーと、年に数回は海外旅行と、なぜかアウトドア趣味が多い

・クリスマスやハロウィン、バレンタイン、W杯などでみんなと盛り上がる

って感じかな?

 

でも、ハッキリ言いたい。

こんなもんはリア充じゃねぇ!踊らされてるだけの末人じゃ!!

とね。

 

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「末人」と「超人」

「神は死んだ」の名言であまりに有名な哲学者・ニーチェが語る中心思想は、

「末人たるな、超人たれ」

です。

 

「超人」というのは別に、超常的な能力を持つ者や卓越した成果を出している人などのごく限られたスーパーマンのことを指すのではなく、

今がどんな状況であれ、

「昨日より今日、今日より明日、より強くなりてぇ、強くなりてぇんだよ!!」

という感じで、自分の抱く夢なり目標なりに向かって、歩み続ける人のことを指します。

 

一方、「末人」とは、

客観的に見ればどんなに美人・イケメンであっても、いい学校や会社に所属していても、いい土地のいい家に住んでいたとしても、

周りに何となく流され、会社や学校に行き、

昨日と同じ今日を疑問もなくダラダラ過ごし、

いつもと同じ友達や恋人と特に変わりないご飯を食べたりセックスをしたりし、

クリスマスだのワールドカップだののイベントがあれば「何となく」盛り上がって、

そーいった感じで時間を何となく潰して生きていく。。。

本質的に「食って、寝て、糞尿垂れて、繁殖して、何となく時間を潰して生きていく」のと変わりない人たちです。

 

だから私からすれば、

友達が沢山いるだの、

スポーツ万能だの、

モテるだの、

結婚して子供とマイホームを持ってるだの、

アウトドアやパーティーで沢山の人に囲まれてるだの、
 

そんなもんで本当にお前の人生は充実していると、
魂の底から断言できるのか?!


と胸ぐら掴んで叫びたいわけです。

 

真のリア充=自分の夢や目標を持ち、日々近づいている人

なんていうか、全部人から与えられたものというか、受け身というか、踊らされてるだけじゃないっすか。
 

私はスポーツ全般見るのもやるのも大嫌いなんですが、

ワールドカップとか甲子園とかオリンピックとか見て盛り上がってる人たちを唾棄するがごとく冷ややかに見ているのですが、
 

「こいつらの内の何人が果たして、本当の意味で好きで感染したり応援したりしているんだろうな?」


と思うんですよね。

 
 

心から好き!って人は案外少ないんじゃないのかな?

それよりも

 

・みんなが見ているから話を合わせるために見ている(じゃないと、W杯が盛り上がってるのにJリーグが盛り上がらない説明がつかないでしょう)

・4年に一度のイベントだから

・マスコミで連日ニュースになっているから

 

そういう感じで「仕方なく」「流されて」「何となく」やっている人が多いんでは?

所詮は他人事で、大して興味や必要のないことのために時間を無駄に潰しているのなら、
あなたは立派な末人です。

 

末人は、自分なりの夢なり志なり目標なりを持たず、時間を投資することなく、強さを志向することもなく、何となく周りに流されて時間だけ潰しているのです。
 

超人は、他人に振り回されたり影響されたりしたわけではない自分なりの夢や志や目標を抱き、そのための時間を投資し、日々自分なりに歩み続け、挑み続ける者を指します。

 

たとえ今40代で、無職やフリーターであったとしても、友達や恋人が全くおらず、道を歩けば嗤われたり気持ち悪がられたりしたとしても、日々強くなろうとし続けるのなら、
最も厳格な意味において「超人」と言えます。
 

そして仮に実家が大金持ちで、イケメン・美人で、奥さん・旦那さんが最高で、いい会社のいい役職についていて、お金や時間に何不自由がなかったとしても、

毎日何となく時間を潰して、強くなろうと努力や挑戦をしないのであれば、
本質的に「飯食って、寝て、垂れてるだけ」の末人に過ぎないのです。

 

日本人の宗教にして精神的病理は「平均」

何日か前のビジネスブックマラソンというメルマガで、エリエスブックコンサルティング代表にしてビジネス書評のカリスマ・土井英司さんが

「日本人を支配する宗教は、平均」

と喝破されていて、それを読んでいた私は

 

それ!まさにそれ!!

 

と膝を打ちました。

 

平均であろうとする同調圧力、
平均から外れたものを叩いたりいじめたり村八分にしたりする集団心理、
平均から抜き出ようとする者の足を引っ張る嫉妬心、
そしてあまりにも平均から乖離した者には『あいつは特別』『俺たちとは違う』と崇める平民根性。
 
全ては『平均』を信仰するが故なのです。
 
 

序列をつけたがるのに、平均をありがたがる

私が昔から不思議なのは、
偏差値や学歴など、誰が決めたかもわからない数字や指標、ランク付けをありがたがり、絶対視すること。
 
ダニエル・ゴールマンの『EQ』やトマス・J・スタンリー『となりの億万長者』のデータを引用するまでもなく、
小卒の松下幸之助氏や中卒の斎藤一人さんの例をあげるまでもなく、
学歴だのテストの点数だのの絶対性が低いことは高校生の頃から分かっていたのですが、
 
周りの生徒や大人は
『偏差値がこれくらいだからお前はこの程度の人間』
と決めつけてかかるのです。

いやいや、何でよ?
美的センスや行動力、プログラミング、チャレンジ精神、起業家精神、リーダーシップなど、
他にも大事なことはいくらでもあるはずだし、
何より人生は長いのだから可能性や成長は青天井であって然りのはず。
 
なのに、なぜ、学校という狭い世界の中にある、
誰が決めたかもわからない指標によって全てを判断されなければならないのか?
また、運動音痴というだけで「イケてない」「ダサい」扱いをされ、いじめられなければならないのか?
 
結局それは
「自分は偏差値65だから、偏差値65くらいの人間としての平均」
をありがたがっているわけでしょう。
 
偏差値65の人間が選ぶような進路=大学に進学し、
偏差値65の人間が就くような就職先を選び、
偏差値65の人間が付き合うような人と付き合い、
偏差値65の人間がやるような趣味や遊びに興じる。
 
その「平均」は、一体、誰が決めたの?
そして何で、疑いもなく受け入れてるの?
さらに不思議なのは、なぜそこから外れた人を叩くの?
 
 
・・・といったことを考えた場合、
「平均」を崇めることこそが日本人の宗教であると同時に精神的病理であると気づいたのです。
 

『出る杭は打たれる』というより、『出ようとする杭は打たれ、出てしまった杭は崇めらる』のが日本人

結局のことを言えば、AKB総選挙で一人で何千票も投票するファンを『キモい』『バカ』と嘲笑する者たちもまた、
誰が決めて仕掛けたか分からない『何か』に振り回されて踊らされているのです。
 
彼らファン(ヲタ)は、秋元康さんらAKB運営陣が仕掛けたレースなりイベントなりに振り回され、大金をつぎ込み、応援しているわけですが、
 
宗教に金をつぎ込む信者も、
効いているかどうかわからない健康食品や健康器具に金を費やす人も、
占いやヒーリングにどっぷりはまっている人も、
特にサッカーに興味ないのにW杯の時だけ騒いでるバカどもも、
根っこは同じなんですよ。
 
バカは自分のバカを自覚できないが故にバカなのですからね。
 
 
私は自然法則に関して言えば『神が決めたルール』だから従おうと思いますが(ていうか逆らいようがないですが)、
たかが人間が決めたルールや常識など、どこまでも相対的であると思うし、
時には疑い、挑む必要もあると考えるのです。
 
運動神経、スクールカースト、偏差値、学歴、就職先、年収、業界規制…
そんなもんで自分の何もかもを決められ、振り回される筋合いなど毛頭ございません。
 

天地宇宙の真理にして神意は「違うことは尊い」

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星の誕生や生命の進化を大局的に見ていて気づくことは、
木の枝や根が無限に分化していくがごとく、
一つ一つの存在、一人一人の人格や人生、工場の生産ラインで作られるものですら、一つ一つが厳密な意味において違うのです。
 
同じものは無限の宇宙の中で、永遠の時間の流れの中で、一つとして存在しない。
つまり、あなたも、私も、眼に映るあらゆるものも、唯一無二のものなのです。
 
この奇跡を考えれば、
神様が「違うことは素晴らしいよね」と命を与えてくれたのならば、
なぜ、わざわざ誰が決めたかもわからない「平均」をありがたがり、「同じ」であろうとするのか?
 
どこの誰かもわからないそいつは、神様よりエラいのでしょうか?
 
 

「違うこと」を分かり合い、分かち合えることで世界は完全に近づいていく

勉強は得意だけど運動は苦手な子もいる。
運動はできるけど勉強は苦手な子もいる。
学校の勉強はできなくても、新しいことにチャレンジして柔軟に吸収していける子もいる。
勉強も運動も興味ないけど、音楽や美術の才能に溢れた子もいる。
眼に見える成績ではどれもパッとしないけど、その子がいるだけで周りが明るく楽しくなる子もいる。
 
 
一人一人が違うのです。
そしてそれを、単一の数字や序列で無理やり「同じ」にしようとするから、イジメなり差別なりが生まれるような気がしてならない。
 
お互いの「違い」を認め、受け入れ、理解し、分かち合っていけば、
誰かが誰かを踏みつけにすることもなく、みんなが笑い合い、輝いていける、
そんな世の中になっていくのだと思う。
 

まとめ:「違うこと」「強くなること」をどこまでも目指し続けよう

長くなったのでまとめますね。
私が考える真のリア充とは、ニーチェが言うところの超人であり、「平均」の宗教から外れた人です。
 
どこまでも自分らしく、自分にできること、自分がやりたいことを追いかけ、突き詰め、そのための時間を投資し、日々近づいていく。
その道を歩むものこそが本当の意味において自分の人生を生きている、と言えるのだと思う。
 
魂の充実だから、「リア充」というよりは「タマ充」といった方がいいのかな?
 
 
今日の記事長ぇーよ、ボケ!覚えられんわ!!
って方はこの一言だけ覚えといて。
 
「違うことは、尊い」
 
 
それじゃ!!

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